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> No.685[元記事へ]
管理人さんへのお返事です。 (阿南より)
> 残念ながら「医学」を「科学」の一分野として認めていません。
> 「医学」は「技術」の範疇に入ると思っています。
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> 「科学技術」という言葉がありますが、「科学」(science)と「技術」(technology)は現代において密接なつながりがありますが、一つではありません。
* 「科学」と「技術」を区別し、「医学」は「技術」なのだから、「科学」とは思ってないとの事、「科学」という言葉を「狭義」に定義すれば、貴方の仰る通りですね。
* しかし、「科学性」という言葉に関して議論する事は、この欄に於いては、殆んど意味が無いと思うので、この点に関しては、これ以上の議論は止めておこうと思います。
* まあ、貴方の言葉の使い方に合わせて、「心霊学」や「超心理学」に拠って、「技術的」に証明されている、と表現を変更しておきましょう。 (笑)
> 「技術」においては結果がすべてです。
> 問題なく機械が動作すればいいんです。
> 科学で説明できようとできまいと関係ありません。
* 貴方は「医学」を単なる「技術」としてますが、「技術」は、「科学」で説明が出来ようが、出来まいが関係ないとする貴方の考え方では、「ノーベル医学賞」には何の価値も無い事となってしまいすね。
> 「科学」として「理論」が正しいことを証明するために「実験」をするので、本来ひとつのものでしょう。
> 「車の両輪」というなら、現代においては「科学」と「技術」の方が適切かと。
* 私が「車の両輪」と書いたのは、「理論」と「実権」は、「本来1つ」という意味で書いたのであって、「科学」と「技術」が「車の両輪」というのは、それはまたそれで、別の次元に於いてはその通りですね。
> >貴方の「理解・定義」している「科学」という概念は、一般社会人の理解している「科学」概念であり、私の考える「科学」は、「必ずしも、再現性の無い現象でも、科学である。」と定義する独特なものですが。
> 定義が違ってはお話になりませんね。
> ここは掲示板ですから、一般的社会人の理解しているように「科学」概念を扱わないのは不適切でしょう。
* 言葉の端々を重箱の隅を突付く様な意味で取り上げるならば、確かに貴方の言う通りですね。
* しかし、議論の流れ全体から言葉の意味を捉えるならば、私の論理展開と貴方の論理展開は、天理教の信者さん達と社会一般の人達では、違った受け取り方をするでしょう。
> >* 「科学」という言葉の意味が問題ですが、もし、「科学」という言葉を「哲学」とほぼ同義で使うならば、私は、「科学=哲学」で全ては明解に説明される日が数百年後には来ると信じてます。
>
> 阿南さんは、やはり科学信仰をされているということのようですね。
> 概念がまた広がっちゃいました。
* 要するに「科学」という言葉にどれだけの意味合いを持たせるかという事に帰着すると思いますが、私は「哲学的」に考えているつもりですが、貴方が「阿南さんは、科学という名前の宗教を信仰しているのだ。」と評価するのであれば、それはそれでまた結構だと思います。
> >* 更に、別の言葉で言えば、「8つの埃」・「貸し物・借り物の理」等は、少しも「修正」する必要も無く、「放棄」する必要も無いけど、「人類は、奈良県・天理市から始まった。」と主張する「元の理」・「泥海後記」等は、速やかに「放棄」しない限り、天理教は急速に衰退して行くであろう、という事です。
> 「八つのほこり」「かしもの・かりもの」が科学的に否定されることは想定外なんでしょうか?
* 私は、「八つのほこり」「かしもの・かりもの」は、「精神分析学」・「心身医学」・「心理学」・「哲学」等から、寧ろ「その正しさが裏付けられる。」と考えてます。
* 私は、全ての現象や命題を全て「科学」で証明する必要があると考えているのではありません。
* 前回の書き込みにも書いた様に、「人生の意味」や「目的」を「科学」で証明したり、説明する必要は無いでしょう。
> それと、「人類は、奈良県・天理市から始まった。」なんてだれも主張していません。
> 「人類」ではなく「人間」です。
> 「人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残つた」と「元の理」にあります。
> 「人類は猿から進化した」、科学はそのように言います。
> 人類は「めざる」から」生まれたんでしょう。
> でも、別に科学と整合性がなくてもいいんです。
* 「人類」と「人間」は同一視するのが、社会常識なので、この点に関する貴方の説明は何の事やら意味不明です。
* 勿論、「宗教・信仰」は自由ですから、「科学」と整合性が無くとも、それを貴方が信じるのは自由ですね。
* ただ、私が言いたかったのは、「21世紀・22世紀の宗教」は、「科学」と「整合性」を持ったものでなければ、急速に消滅して行くだろう、と言う事です。
> 「元の理」は、神話であり、象徴的なものなのです。
> 親神様の思召を悟るところに意味があるのですから。
> 「科学的」な言い方をすれば、サムシング・グレートのメッセージをどのように認識するか、ってことですから。
* 「元の理」を「象徴的な神話」だと解釈する事には、私も賛成です。
* しかし、現在の天理教の説き方は、この点を明確にせず、あたかも「歴史的真実=学問=科学的事実=技術的事実?(笑)」であるかの如く説いてますね?
* 私は、この点を危惧しているのです。
* 即ち、「象徴的な神話」であるならば、その点を明確にして、全面的に「表現」や「説明方法」を変更して欲しいと言う事です。
> 私、いちおう理系で育ちました。
> そのあと「社会学」をやりました。
> 「科学」はひとつの手段であると理解しております。
> 「新しい科学論」(村上陽一郎著)をお読みになることオススメします。
* 「科学」が1つの手段である、というのは、私も同じです。
* 「科学」だけでは、全く「不十分・不完全」なのであり、人間には、「宗教・哲学」も「科学」以上に必要である、と考えてます。
* 「村上陽一郎」さんの本は、彼が翻訳した本を数冊読んだ事があります。
* 20年程前、彼は、何回もNHK教育テレビに出てましたね。
* 孰れ、機会を見つけて、「新しい科学論」を読んでみましょう。
(なお、私は、法学部を卒業してます。)
http://毛
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