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> No.680[元記事へ]
たまたまさんへのお返事です。
ちょっと遠回しになりますが、悪しからず
「我は元の神・実の神である。この屋敷にいんねんあり。このたび、世界一れつをたすけるために天降つた。みきを神のやしろに貰い受けた
い。」「天理教教典」第一章
「最初に産みおろす子数の年限が経つたなら、宿し込みのいんねんある元のやしきに連れ帰り、神として拝をさせようと約束し、承知をさせて貰い受けられた。」「天理教教典」第三章
天保9年の最初の啓示と、元はじまりでの約束の対応を見てみます。
「我は元の神・実の神である」と仰せの主体は親神様であって、元はじまりの約束をなさった神様です。
「この屋敷にいんねんあり」と「宿し込みのいんねんある元のやしき」
「この屋敷」=「元のやしき」、すなわち大和の国山辺郡庄屋敷村の中山家がちょうど人間宿仕込みの場所である、同じ所を指している、ということです。
「このたび」「天降つた」と「最初に産みおろす子数の年限が経つたなら」
約束の時から、産みおろした子数の年限が経ったその時が「このたび」、すなわち天保9年10月の、親神様が天下ったあの場面となります。
「みきを神のやしろに」の「みき」とは元はじまりの約束を神様となさった方です。
では「世界一れつをたすけるため」は何に対応するでしょうか。
残っているのは「神として拝をさせよう」です。
対応するでしょうか?
「神を拝する行為」=「おつとめ」です。
「このつとめは、又、かぐらづとめとも教えられ、親神の創造の理をかたどり、選ばれた十人のつとめ人衆が、夫々、面をつけ、歌に調子を合せて、奏でる九つの鳴物の調べに心を揃え、親神の守護の理を手振にあらわしてつとめる。実に、かぐらづとめは、人間創造の元を慕うて、その喜びを今に復えし、親神の豊かな恵をたたえ、心を一つに合せて、その守護を祈念するつとめである。」「天理教教典」第二章
このつとめこれがこのよのはぢまりや これさいかのた事であるなら 十五号 29
この勤めこれがこの世の初まりや これさい叶た事であるなら
それぞれに面を付け、人間創造の模様を手振りにあらわし、鳴物の調べに合わせ、つとめられるおつとめは、「元はじまり」の再現です。
「世界一れつをたすける」
おつとめによってたすける。
おつとめによってたすかる。
「おつとめ」の効能は「おふでさき」にはっきりと述べられています。
みなそろてはやくつとめをするならバ そばがいさめバ神もいさむる 一号 11
皆揃て早く勤めをするならば 側が勇めば神も勇むる
りうけいがいさみでるよとをもうなら かぐらつとめやてをとりをせよ 一号 14
立毛(農作物)が勇み出る様と思うなら 神楽勤めや手踊りをせよ
このつとめなんの事やとをもている よろづたすけのもよふばかりを 二号 9
この勤め何の事やと思ている 万救けのもようばかりを
このつとめせかいぢううのたすけみち をしでもものをゆハす事なり 四号 91
この勤め世界中の救け道 唖でも物を言わす事なり
このつとめなにの事やとをもている せかいをさめてたすけばかりを 四号 93
この勤め何の事やと思ている 世界治めて救けばかりを
どのよふなたすけするのもみなつとめ 月日ゆうよにたしかするなら 七号 83
どの様な救けするのも皆勤め 月日言う様に確かするなら
このつとめどふゆう事にをもうかな をびやほふそのたすけ一ぢよふ 七号 97
この勤めどうゆう事に思うかな をびや疱瘡の救け一条
しんちつの心したいにとのよふな つとめするのもみなたすけやで 八号 3
真実の心次第にどの様な 勤めするのも皆救けやで
これさいかつとめにかゝりでたならば なにかなハんとゆうでないぞや 九号 54
これさいか勤めに掛かり出たならば 何叶わんと言うで無いぞや
にち/\にはやくつとめをせきこめよ いかなるなんもみなのがれるで 十号 19
日々に早く勤めを急き込めよ 如何なる難も皆逃れるで
とのよふなむつかしくなるやまいでも つとめ一ぢよてみなたすかるで 十号 20
どの様な難しくなる病でも 勤め一条で皆助かるで
つとめさいちがハんよふになあたなら 天のあたゑもちがう事なし 十号 34
勤めさい違わん様に成ったなら 天の与えも違う事無し
どのよふにむつかしくよふみへたとて よふきつとめてみなたすけるで 十二号 61
どの様に難しく様見えたとて 陽気勤めで皆救けるで
はや/\と心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる 十四号 92
早々と心揃てしっかりと 勤めするなら世界治まる
「世界一れつをたすけるため」が「神として拝をさせよう」に対応しました。
「おつとめ」は「元はじまり」を表現しているわけですが、しかし、どんなふうに人間は創られたのか、「おつとめ」だけではピンとこないです。
「おつとめ」に表現されているところのもの、それが「元はじまり」の話、「元の理」に記されているということですね。
それに「おつとめ」を教え通りにつとめるには、そこに込められたところを理解する手だてが、やはり必要でしょう。
「大和神社のふし」 『稿本教祖伝』第六章
明治七年陰暦十月の或る日、教祖から、仲田儀三郎、松尾市兵衞の両名に対して、
「大和神社へ行き、どういう神で御座ると、尋ねておいで。」と、お言葉があった。両名は早速大和神社へ行って、言い付かった通り、どのような神様で御座りますか。と、問うた。
この問答を仕掛けたことに対して、「けしからん」ということで、神職がお屋敷へやって参ります。
『稿本教祖伝』第六章
この時、教祖は、親しく会うと仰せられ、衣服を改めた上、直々お会いなされ、親神の守護について詳しく説き諭された。神職達は、それが真なれば、学問は嘘か。と、尋ねると、教祖は、
「学問に無い、古い九億九万六千年間のこと、世界へ教えたい。」
と仰せられた。
「学問に無い、古い九億九万六千年間のこと、世界へ教えたい。」
この言葉は、神職たちをやり込めるためだけにおっしゃったのではありません。
このよふのほんもとなるのしんちつを しいかりしよちせねばいかんで 十二号139
この世の本元なるの真実を しっかり承知せねばいかんで
いまゝてハこのよはじめたにんけんの もとなる事をたれもしろまい 十六号 1
今迄はこの世初めた人間の 元なる事を誰も知ろまい
このたびわこのもとなるをしいかりと とふぞせかいゑみなをしゑたい 十六号 2
この度はこの元なるをしっかりと どうぞ世界へ皆教えたい
親神様はこの世をはじめたこと、人間を創ったこと、その元なることを、しっかりと、世界に教えたいと思召されています。
そうしてお教え下されたのが、「元はじまり」の話ということです。
かんろだいを囲みつとめられる「おつとめ」は、すなわち「この世のはじまり」の象徴であります。
このもとハかぐらりよにんつとめハな これがしんぢつこのよはしまり 十六号 3
この元は神楽両人勤めはな これが真実この世初まり
このたひのかぐらとゆうハにんけんを はじめかけたるをやであるぞや 十六号 4
この度の神楽と言うは人間を 初め掛けたる親であるぞや
このもとをしりたるものハないのてな このしんぢつをみなをしゑるで 十六号 5
この元を知りたる者は無いのでな この真実を皆教えるで
>親神様が、陽気ぐらしを共に楽しみたいと言う思いから、段々と心を尽くしきったその上で創られたのが人間であります。
>その苦労をわかり易く説明する為にあるのが元の理のお話しではないのでしょうか?
そういうことだと思います。
ですが、了解するだけでなく「おつとめ」をするということ、わかってつとめるということ、そちらに重心があるのではないかと。
「親神は、陽気ぐらしを急き込まれる上から、教祖をやしろとして、この世の表に現れた、奇しきいんねんと、よふきづとめの理を、人々によく了解させようとて、元初りの真実を明かされた。」「天理教教典」第三章
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