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元の理のお話しとは一体何でしょうか?
天保9年から遡ること九億九万九千九百九十九年の昔、かんろだいの地点で、親神様(天理王命)が「人間の陽気ぐらしを見て共に楽しみたい」と思し召され、(親神様が)心尽しきって人間は創られたとの事。
その人間宿しこみの道具衆としてうを、み等のものを食べてその心根を味わって人間の道具にしたとの事ですが、私自身これは当時の人々に対して親神様が教祖の口を通してわかり易くお話された話として理解しています。
九億九万九千九百九十九年の昔というのも、何故九億九千九百・・・と違うのか?という話になると、やはり当時の人に対する遠い遠い昔という意味で九億九万九千九百九十九年と言う言い方をされたのかと理解しています。
元の理のお話しも後記のお話しも当時の人々にわかり易く、理解し易い様にとの親心からのお話しと理解していて良いのでしょうか?
毎日、元の理を読む。
素晴らしいとは思うのですが、気になるんです。
遠い昔にうをもみもドジョウもシャチもカメもクログツナもウナギもカレイも居ないはずです。
月日より だんだんこころつくしきり
そのゆえなるの にんげんである
親神様が、陽気ぐらしを共に楽しみたいと言う思いから、段々と心を尽くしきったその上で創られたのが人間であります。
その苦労をわかり易く説明する為にあるのが元の理のお話しではないのでしょうか?
キリスト教ではもっと単純に創世記は書かれています。
神は1週間で全宇宙をお創りになって、人類の誕生について、神は土から人の型を作り、生命を吹き込み、アダムという男を作りました。
次に、神はアダムのあばら骨を取って女を作り、エバと名付けました。
このアダムとエバが人類の祖先だと言うわけです。
これもまた、当時の人々に神が人間の創造主であるという事を理解させる為の方便であると思うのですが、管理人さんは一体どの様に理解されていますか?
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