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> No.677[元記事へ]
阿南ヒロシさんへのお返事です。
「転生の秘密」「幸福はあなたの心で」
どちらも今のところ興味薄いです。
科学として正しいと言えるのは
体系的・論理的で辻褄が合っていること。
その説が正しいとする根拠を明示できること。
誰が実験しても同じ結果になること。
スピリチュアルは個人的体験の範疇のもの、また、目に見えないところのものが多いわけですよね?
実験による再現性難易度は非常に高いです。
同じ状態をつくることが困難。
しかも目に見えるかたちで表さなければなりません。
科学になじまない分野ではないか、というのはそういうことです。
科学は手法のひとつです。
有用ではあるけれども万能ではありません。
疎遠だった友人がいきなり家にやって来たので「なんで来たの?」と尋ねたら「車で来た」と答えた。
こちらが知りたいのは目的であって手段ではないでしょう。
でも科学は「車で来た」と、そのような答え方をするのです。
飛行機はなぜ飛ぶのか、科学により完全に解明されているわけではありませんが、実用上問題ないのですね。
まず、空を飛びたいという欲求があって、試行錯誤の中から段々と飛距離が伸びていったと。
科学理論があって、では飛行機をつくりましょう、ではなかったのでは?
科学は後付けでしょう。
科学には科学の守備範囲があります。
阿南さんは、科学に過度の期待をしているように見受けられます。
それは、新しいものの方がよりよい、という姿勢からもうかがえます。
「いずれ○○は科学によって明らかになる」というのは科学信仰であって、科学的態度ではありません。
OSに例えての評価ですが…
親神様の教えは普遍的なものであって、時代に即して変わるものではありません。
変わるとすれば、それは伝え方です。
阿南さんが知りたいとおっしゃる100年前の「初代・大教会長」さん達の「伝記」、教えをどのように悟り実践しその結果どのようなことがあったのか、記されているものですよね?
では、いま自分はどう生きるのか、「伝記」はひとつの参考にはなりますが、同じことはできないし、したとしても同じような結果になるとは言いにくいしょう。
常に変化している。
でも、それは普遍的な教えをいかに応用するかということであって、教えそのものが古い・新しいということではないのです。
いつ、どこで、だれが、なんのために、どうやって、この世を創り人間を創ったのか。
これは変わらないのです。
天保9年から遡ること九億九万九千九百九十九年の昔、現在の住所は奈良県天理市三島町、天理教教会本部神殿の中心にあるかんろだいの地点で、親神様(天理王命)が「人間の陽気ぐらしを見て共に楽しみたい」と思し召され、(親神様が)心尽しきって、人間は創られました。
元は変わらないのです。
その元を教えたい、というのが親神様の思召しているところです。
それを受けで、では「どうしよう」「こうしよう」というのが人間の態度です。
その人間のあり方に、「新しい」とか「古い」とかいう見方がでてくるかもしれませんが。
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